東京長崎村

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五郎久保稲荷神社命名式 - 2003年3月30日(日)

五郎久保稲荷神社と五若御輿の由来
 当社の創建年代は詳ではありませんが、全国でも数少ない北向の正一位稲荷大明神であります。
昔から「福の神」として、又「厄除の神」として偉大な御神徳があると伝えられております。
境内の手洗石に天保年間(1830~44年)の銘がありますが、その頃は当地も武蔵国豊島郡長崎村字五郎久保と云われていました。その後明治年代に入り字名も「五郎窪」と変わり当神社も字「五郎窪」(現在は南長崎三丁目南部・南長崎四丁目・南長崎五丁目)の氏神として地元氏子により厚く守られ信仰されてきました。
一.初午祭 二月初の午の日
昔農家では田仕事が始まる以前に初午祭を行い、その年の豊作を祈ったと伝えられています。
一.例大祭 明治年代には当神社を氏神として「五郎窪」地区独自の例祭が行われていましたが、大正年代に入ってから長崎村の村社である長崎神社の例大祭(9月第2日曜)に準じて行われるようになりました。
一.神 輿 境内地に安置されている「五若神輿」は五郎窪の頭字をつけたもので昭和九年に現平成天皇ご誕生を祝い、当時の氏子有志により新調され欅素木造りの格調高い神輿であります。
一.境内別社 榛名神社
所在地 豊島区南長崎五丁目十三番七号